つまりの分析

せっかくなんで、今回の混迷も分析してみました。
このように、3年前のように行き止まりにぶつかったわけですが、

実は、こういう構造になっているのではないかと憶測します。

周期的に同じ壁にブチ当たるわけです。
ぐるぐる同じところを旋回しているようで、実は螺旋状になっており、
何回か繰り返すと学習して、「あっ!また同じ壁だ!!」と気づくようになりますから、
いつかきっと、螺旋から抜け出して、ステージクリアというハッピーが待っていると憶測しました。

ぶっちゃけ、そう思わないと進めないので、そう思うことにしました(笑)
描いていて思ったのですが、私の描くイラストは、私の思考の整理に最適なツールであり、その経緯の記しなんだと思いました。
たぶん、それがヒダカアヤの「個人的描くモノのあるべき姿」なんでしょう。きっと。
混沌とした心の中を、正直に分かりやすく形に現せているかどうかだけを考える。
誰に何と言われようが、私はソコだけを考える。
あげるべきクオリティはソコであり、手法は手段で、必要に応じて考えればいいこと。
以降、勘違いしないように気をつけます。ありがとうございました(笑)

とどのつまりのつまり


3年前の8月にも、同じようなことを考えてたんだと気づきました。(↑3年前に描いたラクガキ)
3年前からあまり変わっとらんのかなとも思いましたが、想いをちゃんと絵に描いていただけ、3年前の方がマシだなと思いました。
堂々巡りや。いいかげん、このスパイラルから脱皮や。
進化してるつもりが、また退化しとった。
抜け出したつもりが抜け出せてへん。
もう誰か助けてーーーって感じですが、
自分のことは自己責任なので、自分で何とかします。アセアセ
まだしばらく闇に籠っときます。

とどのつまり

悩み考えた結論だけ書くブログです。
結局、どんな形であれ、やっている人はすごいですよ。
ちゃんと生きていってるだけで、もうなんだか、みんなスゴいなって、思えてきました。
ああ、ようやく、楽しい絵が描ける気がしてきました。

アイデンティティ

最近「アイデンティティ」について、考える機会が多いです。
「アイデンティティ」という言葉にとらわれているというより、
感情を大きく揺さぶる要因を探っていったら、「アイデンティティに起因しているんだ」と気づいたというのが正確ですが。
「家系」とは、一つのアイデンティティであり、
規模が変わると、地域、国、民族etc…になるのでしょうね。
アディンティティとは、宗教体のようなものかもしれません。
アイデンティティについては、普段その中で暮らしていると考えを深めないもので、時には知らず知らずに自身がソレを否定していたりすることもあるのだけれど、
そのアイデンティティの外に出た時や、属さない人にソレを虐げられたり傷つけられた時は特に、強烈にそのアイデンティティの存在を意識するものです。
アウェイ感が強い状況で、特に意識するのだと思います。
親しい人や好きな人であればあるほど、自分のアイデンティティを認めて欲しいと思ってしまうし、
虐げられたり傷つけられると、理屈を超えて、怒りとか憎しみなどの情念がこみ上げてくるものなんだと思います。
傷つけられると、逆上して、その人のアイデンティティを全否定したくなります。
100%理解してもらえなくても、
尊重してもらうだけで、救われるもので、
慈しんでもらえると、すごく嬉しいものです。
どこをどう「自己同一性」とみなすかは、
血による先天的なものなのか、育った環境や意識による後天的なものなのか、または両者に起因するのか、まだ十分に考えを深められていませんが、
一旦アイデンティティと感じたからには、もはや理屈を超えて「情念」になりますから、
例えば、民族・人種の紛争などは、時に戦争をも引き起こす力になるのでしょうね。
それくらい、実は 強烈な情念 なんだと思いました。