アイデンティティ

最近「アイデンティティ」について、考える機会が多いです。
「アイデンティティ」という言葉にとらわれているというより、
感情を大きく揺さぶる要因を探っていったら、「アイデンティティに起因しているんだ」と気づいたというのが正確ですが。
「家系」とは、一つのアイデンティティであり、
規模が変わると、地域、国、民族etc…になるのでしょうね。
アディンティティとは、宗教体のようなものかもしれません。
アイデンティティについては、普段その中で暮らしていると考えを深めないもので、時には知らず知らずに自身がソレを否定していたりすることもあるのだけれど、
そのアイデンティティの外に出た時や、属さない人にソレを虐げられたり傷つけられた時は特に、強烈にそのアイデンティティの存在を意識するものです。
アウェイ感が強い状況で、特に意識するのだと思います。
親しい人や好きな人であればあるほど、自分のアイデンティティを認めて欲しいと思ってしまうし、
虐げられたり傷つけられると、理屈を超えて、怒りとか憎しみなどの情念がこみ上げてくるものなんだと思います。
傷つけられると、逆上して、その人のアイデンティティを全否定したくなります。
100%理解してもらえなくても、
尊重してもらうだけで、救われるもので、
慈しんでもらえると、すごく嬉しいものです。
どこをどう「自己同一性」とみなすかは、
血による先天的なものなのか、育った環境や意識による後天的なものなのか、または両者に起因するのか、まだ十分に考えを深められていませんが、
一旦アイデンティティと感じたからには、もはや理屈を超えて「情念」になりますから、
例えば、民族・人種の紛争などは、時に戦争をも引き起こす力になるのでしょうね。
それくらい、実は 強烈な情念 なんだと思いました。

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