原爆と経済と仕事と矛盾と。

8月に、長崎・半日の旅へ行ってきました。

長崎は2度目ですが、とても好きな街です。
目的は「長崎原爆資料館」。初めての訪問です。

感想としては、
原爆投下の理由には様々な説あれど、いかなる理由であれ、造るべきものじゃないし、使うものでもないなとつくづく思いました。

ただ世界の歴史を見れば、戦いのない時代はなく、今も核保有国は沢山あります。
核保有はむしろ抑止力となって、争いを避けることにつながるという意見もありますが、個人的には、非人道的な兵器は、造り出すこと自体が「悪」だと思いました。

兵器を求めるのは、テロリストを含め政治や財界によるものなのでしょうが、

実際、形として造り出せるのは、科学者や技術者ですから、
いくら政治家やテロリストの意志があったとしても、科学者や技術者が「NO」と言えば、存在することはないわけです。

科学者や技術者のモラルは、大変大事なことだと思います。

と言いつつ、我が身に置き換えてみると

「効率化・合理化・低コスト化」の元に、グローバル化に向かう経済は、人々のくらしや心を豊かにするとは思えず、個人的には反対なわけです。

しかし、自分の仕事「広告・販促」はクライアントの利益追求が最大のミッション。
結果を出すためには、現代の経済の流れを無視するわけにもいかず、
矛盾が生じることもあります。

クライアントのため。

それを是としたら、極端な話、原爆を造る技術者と同じなんだよなーーーと思ったり。

動物を殺生するのはどうなんだ、、、

どこからどこまでが正義とするかって、難しいですね。

「生きるため」

生きるってことは、矛盾だらけです。

でも逃げずに生きていかねばなりません。

なかなか難しいことでありますが、私は、ギリギリでも私の正義の範疇で、生きていきたいと思うのであります。

とどのつまりのつまり


3年前の8月にも、同じようなことを考えてたんだと気づきました。(↑3年前に描いたラクガキ)
3年前からあまり変わっとらんのかなとも思いましたが、想いをちゃんと絵に描いていただけ、3年前の方がマシだなと思いました。
堂々巡りや。いいかげん、このスパイラルから脱皮や。
進化してるつもりが、また退化しとった。
抜け出したつもりが抜け出せてへん。
もう誰か助けてーーーって感じですが、
自分のことは自己責任なので、自分で何とかします。アセアセ
まだしばらく闇に籠っときます。

とどのつまり

悩み考えた結論だけ書くブログです。
結局、どんな形であれ、やっている人はすごいですよ。
ちゃんと生きていってるだけで、もうなんだか、みんなスゴいなって、思えてきました。
ああ、ようやく、楽しい絵が描ける気がしてきました。

新潟へ帰ろう

「新潟に帰ろう」と思った。
ちょっと過酷な方法で、一人旅。
一日だけ京都に寄ろう。それから新潟。
そして東北の被災地へ行ってみたい。
父に「被災地を廻りたい」と言ったら、一緒に付き合ってくれるとのこと。
酒と登山と運転が好きで、九州にも何回か車でやってきた。
協調性がないことを母にいつも非難されていたが、譲歩せずに、信念で仕事と闘ってきた、頑固でタフな父だ。
このタイミングで一緒に廻れることを、とてもありがたく思う。
被災地に行って、意識がどう変わるのかわからないけれど。
それすらも、行って確かめたい。
アウトプットに移行しようと思いつつ、
インプットの日々が続くのであります。

アイデンティティ

最近「アイデンティティ」について、考える機会が多いです。
「アイデンティティ」という言葉にとらわれているというより、
感情を大きく揺さぶる要因を探っていったら、「アイデンティティに起因しているんだ」と気づいたというのが正確ですが。
「家系」とは、一つのアイデンティティであり、
規模が変わると、地域、国、民族etc…になるのでしょうね。
アディンティティとは、宗教体のようなものかもしれません。
アイデンティティについては、普段その中で暮らしていると考えを深めないもので、時には知らず知らずに自身がソレを否定していたりすることもあるのだけれど、
そのアイデンティティの外に出た時や、属さない人にソレを虐げられたり傷つけられた時は特に、強烈にそのアイデンティティの存在を意識するものです。
アウェイ感が強い状況で、特に意識するのだと思います。
親しい人や好きな人であればあるほど、自分のアイデンティティを認めて欲しいと思ってしまうし、
虐げられたり傷つけられると、理屈を超えて、怒りとか憎しみなどの情念がこみ上げてくるものなんだと思います。
傷つけられると、逆上して、その人のアイデンティティを全否定したくなります。
100%理解してもらえなくても、
尊重してもらうだけで、救われるもので、
慈しんでもらえると、すごく嬉しいものです。
どこをどう「自己同一性」とみなすかは、
血による先天的なものなのか、育った環境や意識による後天的なものなのか、または両者に起因するのか、まだ十分に考えを深められていませんが、
一旦アイデンティティと感じたからには、もはや理屈を超えて「情念」になりますから、
例えば、民族・人種の紛争などは、時に戦争をも引き起こす力になるのでしょうね。
それくらい、実は 強烈な情念 なんだと思いました。