仕事と社会と幸せと

仕事の目的として「己の生活の糧」や「己の自己実現」が掲げられますが、
第一義は「世の中の役に立つこと・貢献すること」であり、
それをできた結果として
「己の生活の糧」や「己のやりがい」は、後からついてくるものなんだと、改めて考える今日この頃。
でも、分かっていてもこれを貫くのはなかなか難しいことで、社会貢献を大義としていても、実態は「自分の生活のため」「自分の会社のため」となってしまいます。
みんな生活があり、生活するにはお金が必要なので、「生活のための仕事」が第一義となってしまうのも仕方ない世の中です。
私だって、生活と大義との葛藤の日々です。
でも、本来、後からついてくるべきものが、目的の筆頭に来ちゃうから、この世の中おかしくなっちゃうんじゃないでしょうかね。
それが社会を窮屈にしていき、結果として、個人の生活をも苦しめていくことになっているような気がしてなりません。
今や、公職である政治家ですら保身に走る始末です。
マスコミも、ジャーナリズムより収益です。
この二者の在り方はよく批判されますが、社会全体がそうなってんだから、責めることなんてできません。
生活していかねばならないのはみんな同じで、改めるべきは自分です。
子どもへも「職業とは、自分が生活していくため」みたいな認識を植え付けるので、
就活をしている学生さんも、就職は「自分のため」と考える人が大半だと思います。
本来 “社会を考えて働く人”の方が、良い仕事・良い働きをするから、良い仕事にも巡り合うはずなのに。
消費においても、世の中のことを考えてお金を使うと、きっと経済は回り出します。
「社会のため」を主において考えるようになると、結果として、みんなが食えるような世の中になるように思うのです。
キレイ事でしょうかね(笑)
でもきっと人間の社会は、優れた倫理観の中でこそ快適であり
キレイ事を忘れると、生きにくい世の中になるんだと思います。
民主主義や、市場経済社会であればこそ尚更。。。です。
そもそも民主主義や市場経済なんていう”自由”を前提とした社会は、倫理的に生きれる民族でしか成り立たないしくみなんでしょうから。
まぁこれは、いつか作品で具体的に示したいと思いますし、
正義と思うからには、自分の生き様をもって、正義を示さなアカンなと思います。
気合い入れて生きなあきまへんなーーー

踏ん切りがつく

最近、何かと踏ん切りがつくための事象があり、次のステップに行けそうな気がしてきました。
このお仕事もやっと10年生。
ご依頼いただく仕事は、必然的に「私だからできること」というものに絞られてきて
そこに仕えることが仕事と思ってきましたが、
まだまだ「自分より他の人の方が適任なのかもしれないな」と思うものもあったりして、
身を引くべきことが、まだまだあるんだなと気づかされます。
未熟です。
私ががやることが最大の結果を生めないという認識ができたものについては、
そこに手を出すのは、「信頼してくださる方」と「仕える事」に対しての冒涜であります。
他の人に任せるか、自分の能力を磨くかの二者択一。
こんな時代ですからなおのこと
仕事は”自分こそ”のベストパフォーマンスを発揮できる部分に絞り込み、
それをもって結果を出せるよう、努めていかねばと思います。
恥ずかしながら、自戒の念をこめて、、、アセアセ

メモをする

長男コウヘイの学校へ忘れ物が激しいので、
昨日「なんでだろうね?」って、話し合いました。
結局は、「人は忘れるものである」。
…だからメモしとけ。前日に準備しろ。。ってことで落ち着いたわけですが。
そう、人は忘れちゃうんですよねーー。
私もよく忘れます。
日々色んな刺激に触れてしまうから、魅力を感じると、そっちに頭が引っぱられてしまうのでしょうね。
まぁ色んな刺激や知識を入れるのはいいとして、それが強烈だと、
忘れたくないはずの進もうとした道まで見失うから、この頭脳ってのは不思議なもんです。
見失うのは、まだちゃんと根付いていないからなんでしょうね。
ってことで、
忘れないように、メモして貼っておくことにしました。
「オイラはサブカルの人間です」って(笑)

地域との関わり

今年は、「子ども会の役員」と、「ソフトボールチームの役員」で、地域の活動に関わる機会が増えました。
昨年までは、PTA的な活動やお母さんたちがすごく苦手で、
仕事の忙しさにかこつけて、できるだけ関わらないようにしていました。
今年はやむを得ず役員を引き受けることになったものの、
「あぁメンドクサイ。こうなったら、要らない行事とか、事業仕分けしたる!」
と、臨んだ4月。
そして数ヶ月。
回覧板をもって、自転車で地域を回ると、思わぬ発見があったり、
色んな子どもたちと知り合うようになると、みんな無邪気でカワイくて
それがおもしろかったり、勉強になったりで、
“苦” ではなくなってきました。
中でも、カリタスの園(児童養護施設)の子どもたちと触れ合う機会は、初めてだったのですが、
ずーっと普段着でソフトボールの練習していた彼らに、練習着やストッキング・ユニフォームを届けたら、すごく喜んでくれたり。
集団で暮らす彼らは、「縦の繋がり・横の繋がり」を、誰よりも心得ていたり。
刺激や 学ぶところがとても多いです。
今日は、檍地域の”子連協”主催の、”ふれあい球技大会”でした。
参加する 親も子どもも、年々減っています。
地区によっては、「参加者ゼロ」というところもあります。
私もモチロン、嫌々の初参加アセアセ
役員のワタシは、事前に景品の買い出ししたり、お弁当の調達したり、当日も手伝いに行かねばならなかったり。
「もうメンドクサイなー。みんな出たくないのなら、やめりゃいいのに…」と思いつつ、
そして当日、、、
60歳〜小学校一年生まで、一緒にバレーをしたり、応援しあったり、お弁当食べたり、観戦したり。
勝負に負けて悔し涙する子もいて、試合も周りも、見ているだけで結構楽しくて。
「こういうの、いいなぁ〜」と思いました(笑)
この子連協は、「地域で子どもを育てよう」というコンセプトで、子育てが終った年代の方々が中心になり運営してくださっています。
ソフトボールの監督やコーチとして、無償・休日返上で指導をしてくださる方々が何人もいたり、しめ縄づくりを教えて下さる方がいたり、、、
いやーーーありがたいです。
「メンドクサイ」という感情のせいで、見失ったり見落としている良さって、意外と多いんでしょうねーー。
この「メンドクサイ」って感情、要注意★★★ですな。
自戒の念を込めて。。。
「不要な活動は、仕分けしたる!」と意気込んでいた私ですが
意外に仕分けするとこなんて、ないんだなぁ〜〜と思いました。
今年は、なにかと、勉強になります。

ニコル

ニシタチのシガーBar NICOLが、今日で閉店ということで、
昨日、Kさんと最後のNICOLに行ってきました。
行き始めたのはここ数ヶ月で、数えるくらいしか通えませんでしたが
NICOLの空気感と音楽が好きでした。
NICOLで流れていた曲を、今朝 家で聴いていたら、
どこからともなく、NICOLの臭いが漂ってきました。
あれ?。。と思ったら、昨夜のジャージに付いた葉巻の香りでした。
今日はNICOL最後の日ということなので、
今日もそのジャージを着て過ごしました。