「煩悩に対して、常に真剣でした」ワシの副読本

どうも。なんだかとても忙しいです。そのワリにブログ書いたりお茶飲みに行ったりしています(汗)

先日のブログ「身の丈を知ることはいいことだ」と書きました。

なんだか限界を感じた初老のボヤキみたいで(笑)「可能性は無限だ〜」と思う若い人には、何とも夢も希望もない印象を与えてしまったかもしれないなぁと、少し反省しました。

私は、何でも「やってみる派」です。

やりたいと思ったことを、ほとんどやってきました。向いていようがいまいが関係なく、煩悩の赴くままに(笑)

普通だったら先人に学びショートカットできるようなところも、アホなので、欲望の赴くままに動きました。
煩悩に対しては、常に真剣でした(笑)

それにより、予想以上の喜びやありえない体験もしましたし、ありえんアホな失敗も沢山しました。

日本を変えたいと、真剣に思いました。真剣に考えましたが、命をかけるほどの勇気と覚悟がないのだということも分かりました。情けないですが。

そして今、自分のヘタレな部分を含め、納得した上で次のステップに行ける気がしました。
今から向かう「道」は、私が絶対譲れないところ、且つ、苦手を削ぎ落とした、ヒダカアヤを形成する骨格に近いところです。
ここ数年の混沌とした状態からようやく抜け出せる気がして、何ともホッとしたのであります。


やりたいことと、それをやるための「手段」も含めて、「道」なんだと思います。

「やりたい」と「できん」の加減を繰り返し、残ったところが「道」なんだと思います。

そうなんです。書いていて思いました(笑)。いつも「手段」に挫けるのです。やり続けるための手段こそが、「道」の本質なのかもしれません。


私は「心を解放して描けない」という状態が、何よりも苦しいのだということが、分かりました。

どんなに仕事が上手くいったとしても、支持してもらえても、お金持ちになれるとしても(お金持ちになれてませんが(笑))、心を解放した絵が描けない状態は、もはや「ヒダカアヤの死」に相当するんだと分かりました。

心を解放して描けない原因となるものは、どんな魅力的なものでも、断ち捨ててしまうのだと分かりました。

そして「なぜ心を解放して描けなくなったか」という理由も分かりました。
どういう状態であれば描けるのかも、わかりました。

大好きな人のお役に立てることが「仕事」として一番がんばれるのだということが分かりました。
お役に立つことができる私の優れたところはどこなのか。やる気はあっても役に立てない、苦手な分野も分かりました。

色んなことが分かったから、この先も私は、幸せだと思います。

すべてはハッピーおめでとう!なのであります★

「煩悩に対して、常に真剣でした」ワシの副読本” への3件のコメント

  1. ひたむきさ、健気さ、それがあやさんの持っている素晴らしいもの。
    物事を常に前向きに、そしてハッピーに、そのハッピーは自分用と
    繋がったご縁に対してもいっぱい咲かせる花なんでしょう。

    これからも応援しています。

    PS たまごのキャラ動画作れませんかね?

  2. たまご屋社長さま

    ここに書き込んでくださるとは恐縮ですが、とても嬉しいです。
    ありがとうございます <(_ _)>